《対談》漫画家ひうらさとる×ボルテージ東奈々子 『ホタルノヒカリ』がオトナ女子に響いた理由。ヒットの裏側にある作者の苦労とは?
前向きでいられるのは“失敗”のおかげ。
――コンテンツを創り続けていると様々な困難にぶつかると思います。作品がヒットしなかったときや、ファンが減ってしまったときはどうしていますか?
ひうら:漫画の人気が出ないときは、編集担当さんと相談してテコ入れします。私は“何が何でも自分らしい表現を貫きたい”というタイプではないので、編集さんの意見を聞いて「おもしろそうだな」と思ったら方向性を変えているんです。読者の方になるべくいい状態で届けたいので。それでも人気が出なくて、打ち切りになってしまったこともありましたけどね。
東:我々もこの一年はいくつかのコンテンツの更新を停止しました。まだまだ熱心に応援してくれるユーザーさんはいらっしゃったんですけど、ビジネスとして成り立たなくなっているのに続けるわけにはいかなくて。いろいろとユーザーさんには不信感を与えてしまい、かなり厳しいご意見もいただきました。
ひうら:本気のご意見を送りたくなるくらい、そのコンテンツはユーザーさんに愛されていたんですね。すごいことだと思います。でも、失敗したからこそわかることもありませんか?私は打ち切りが決まると、何か一つ今までにない挑戦をするようにしているんです。この作品は打ち切りではないんですが、過去に夫がゾンビっていう設定の漫画を描いたときは、最後に指がボトッと落ちるシーンを実験的に入れてみたんですよ。
東:読者の反響はどうでした?
ひうら:「もう読まない!」っていう感想が届きました(笑)ゾンビといっても、急性心不全で亡くなった男性が棺からむくっと起き上がって、一度死んだことを隠して夫婦で日常生活を送るっていう話だったんです。だから血が出るようなグロテスクなシーンは描いていなかったんですけど、チャレンジしようと思って。
東:確かに、チャレンジですね(笑)。後悔はありますか?

ひうら:失敗だったとは思います。でも、そういう経験があるからこそヒットする作品が生み出せるんじゃないでしょうか?10代後半で漫画家デビューした私が『ホタルノヒカリ』を描いたのは30代後半の頃だったんです。『ホタルノヒカリ』で私を知った人はデビューしたばかりの漫画家だと思ったかもしれませんが、実はそこに至るまでの積み重ねがあったんですよ。
東:そうだったんですか。20年間の試行錯誤があって生まれた作品なんですね。
ひうら:編集さんや読者の方から「この描き方はよくない」と言われたり、自分で「このストーリーはダメだ」と思ったりした回数は、数えきれないほどあります。でもそれがあったからこそ、雨宮蛍を生み出すことができました。もちろん今でも失敗はありますが、「いつか必ず何かにつながる」と信じているから、常に前向きでいられます。
東:私もコンテンツの更新を停止したとき、作品を応援し続けてくださったユーザーさんの熱い想いを改めて実感しました。何よりウチの担当社員が、一番悔しかったと思います。私自身も、常にヒットする作品を生み出し続けなければと改めて強く思いましたが、確かに失敗だってある。それを次につなげるぞ、っていう粘りが大切ですよね。
- ひうらさとる
- 漫画家
- 大阪府出身。1984年に『なかよし』でデビュー。主な作品に『ホタルノヒカリ』『メゾンde長屋さん』『ヒゲの妊婦(43)』『女子高生チヨ(64)』など。現在、月刊『Kiss』(講談社)で『ホタルノヒカリBaby』を連載中。一児の母。
- 東 奈々子
- 取締役副会長・ファウンダー
- Voltage Entertainment USA, Inc. COO
- 1969年東京生。津田塾大学学芸学部卒業後、広告代理店に入社。2000年パートナー津谷の起業に伴いボルテージへ参画、副社長に。ボルテージ東証一部上場を経て、13年から米国進出のため、3人の子どもと共にサンフランシスコへ。16年3月に帰国。